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いばるべきではない

社員研修のおりに、最近よく耳にするの、管理職者は部下の機嫌取りに走り、その結果疲れ果てて、部下からは頼りないと評価され・・・という話です。俺についてこい式のリーダーがいないというのです。

民主的な人柄であらねばならぬという思いが強いので、強気に出るのはパワハラや権威主義と評価されるそうで、ついつい遠慮してしまうらしい。つまりいばるのはよくないと思っている人が多い。これは間違いです。

「いばる」とは何か

まずいばるとは自分の役割に忠実になることです。自分個人の人格が偉大だからいばるのではなく、自分の役割を人に無視されたのでは自分の存在理由がなくなるから、自分の存在を主張しなければならない。それがいばるということです。

すなわち、いばるとは役割に忠実になることです。役割に忠実になるとは、自分の権限と責任を自覚し、それを打ち出す勇気を持つということです。

たとえばキャビン・アテンダントが着陸して直ぐにシートベルトを外し立とうとしたお客に「お客様、飛行機が完全に止まるまで、シートベルトはしたままご着席ください。」というのは自分の責任(任務)に忠実な瞬間です。出すぎたことを言っているわけではない。生意気を言っているわけでもない。教授が学生に『レポートは事務室に提出のこと。直接自宅へ郵送しても採点しない」というのは教師としての権限を発揮しているわけで、権威主義とか押し付けというわけではない。

自分の役割を明確に打ち出さないから人になめられたり、なんとなく屈辱感に襲われたり、後悔したり、自己嫌悪・自己弱小感に陥るのです。

組織とは役割の束です。各自が自分の役割に忠実になるから組織はスムーズに動くのです。謙虚や遠慮を美徳のように思っているような人もいるが、役割に忠実ではない遠い意味では美徳ではなく悪徳です。

たとえばある学会で、ある若い司会者が先輩教授に気合い負けして司会者の役を果たさないことがあった。「ほかにも発言したい人がおられますので・・・」「あと何分くらいかかりますか?」「これはどなたかへの質問ですか、単なる意見陳述ですか」など、この饒舌な先輩教授に体当たりする方法はある。にこにこしていれば司会者が務まる訳ではない。いばれない人は無責任な人、超自我の低い人、愛情乞食の人(人に嫌われたら生きていけないといビリーフの持ち主)のことです。

したがって心構えとしては、給料とか謝礼は役割に払われるのだとの自覚を持つことである。自分が偉いから給料が支払われているのではなく、ある役割を遂行するという約束がるから支払われているのである。つまり給料を受け取るからには、約束どおり役割を遂行する気概が必要である。これが私の言う「いばることをためらうことなかれ」という意味である。