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利益を上げたかったらコストダウンはやめろ!

コストダウンは製造会社にとって永遠のテーマである。何のために? もちろん利益を上げるため。利益=売値-原価。 売値は市場で決まる。だから利益を増やすにはコストダウン、コストダウン。乾いた雑巾を絞ったら、こんなに水が出てきた、なんていう立派な話も何度か聞いた。コストダウンが進まないと、まだまだ絞り方がたりないー、とはっぱがかかる。コストダウンは製造力の証。それで、日本は世界一の製造大国になった、と思っている人は多い。

コストが下がる→価格が下がる→たくさん売れる→生産量が増える→コストが下がる というポジティブ・スパイラルがあった。価格の低下はあっても数量の拡大がそれを上回る。日本の製造業はこの循環の中で成長してきた。コストダウンがほぼ計画通り達成できたのもこの循環の中でであった。そして10年ほど前にその成長は止まった。今度は、「本気」のコストダウンである。量的拡大のない中でのコストダウンだ。だがしかし、昔と違い、なかなか思うようにはコストは下がらない。乾いた雑巾からはそんなに簡単に水は出てこない。

労務費の安い国でつくる、これは手っ取り早いコストダウンだ。海外へ、海外へと怒涛のように出てゆく。コストダウンをしなければ仕事はどんどん持っていかれるぞ、と以前にも増してコストダウン、コストダウンの大号令が飛び交う。

日本製造業を代表する松下電器の1969年の営業利益率は16.4%であった。その後、景気の循環、為替の変動、オイルショックなどなど幾多の変動要因があり、アップダウンを繰り返しはしたが、そのトレンドは右肩下がり。最近のそれは3%程度である。これは日本の製造会社の傾向でもある。70年、80年代の成長期、そして90年の停滞期、そんな時代変化とは関係なしに、利益は下がりつづけてきた。そしてこの時代は、「コストダウン」の時代でもあった。

ものつくりは収穫逓減の法則が支配する産業だ、だから製造業は儲からない。これからは、ソフト化だ、IT化だ、とかしましい。コストダウンに全精力をつぎ込んできたのに利益は減りつづける。この30年を振り帰れば、製造業は儲からない、と思う人に罪はない。

「コストダウンはやめなさい」、と破れかぶれに言ってみたくなる。これは、ものつくりをなりわいとしてきた人たちには、「仕事をやめろ」と言うに等しい。「コストダウンなくして、製造はあるか?」というむなしい声が聞こえてくる。 日本の製造業が抱える閉塞感は相当に根が深い。

十数年前のアメリカの製造業も似たような情況にあった。コストダウンのため、製造の海外シフトは進み、国内は空洞化した。その頃日本は勢いがあった。アメリカ市場を全部飲み込まんばかりであった。アメリカは苦悩した。その苦悩の中から、起死回生の、JITを超える生産理論が編み出される。

TOCの誕生である。そのメッセージは 利益を上げたかったらコストダウンはやめろ! なのである。さて、皆さんどうしますか?

コストダウンをやってはいけないわけ

コストダウンの目的は利益を上げるためである。コストを下げ、市場での価格競争を勝ちぬき、シェアを上げ、売上を増やし、利益を上げるためである。利益=売値-原価。売値は市場で決まるものだから、利益を上げるためには原価を下げるしかない。原価を下げる事を「コストダウン」という。だからコストダウンは製造の永遠のテーマである。

コストを下げる事によって価格が下がり、市場が大きくなった。規模の拡大はさらなるコストダウンを可能とし、市場はさらに成長して行った。単価の低下はあっても企業の売上は増え続けた。コストダウンなくしてこれまでの日本製造業の発展はありえなかった事に疑問の余地はない。

しかし、利益を上げるため、という目的はどうだったか。ここ30年を振り返って見る限り、増やそうとした意図とは反対に、利益は減りつづけているのである。その間、円・ドルレートは4倍も変化したし、オイルショックはあったし、東南アジア諸国の台頭もあった。利益が上がらないのは、そのような外因のためだ、という意見はもっともらしい。製造業というものは収穫逓減の法則が支配する、という説は、さらにもっともらしい。

収穫逓減の法則があるとすると、そこには、どんなメカニズムがあるのか。コストダウンが利益の増加に繋がらない、いやむしろ、コストダウンが利益の減少に繋がるメカニズムとは、いったいなにか。われわれはこのメカニズムを解き明かさなければならない。そこに、コストダウンをやってはいけないわけ がある。

解明の糸口を示そう。コストダウンを議論するとき、われわれは製品1個(一単位)の原価を使う。製品一個の原価の内訳は、原材料費、償却費、人件費、光熱費、外注費などなどである。担当部門ごとに、製品1個当りのそれぞれの費用を一生懸命下げるのがコストダウンである。その努力の結果が、多くの場合、利益を減らしていることを、TOCは明快に解き明かすのである。(スループット計算参照)

ムダはすぐ取るな

「節約」、「倹約」、「もったいない」、最近では「清貧」なんていうことばに、日本人は共感を覚える。私もこどもの頃、食べ終わったちゃわんに、ごはん粒一つ付いていただけで、「お百姓さんが一年かけて一生懸命作った米を粗末にしてはいけません。」と叱られたことを思いだす。

ものがあふれんばかりに豊富になったのは、ここ20年たらず。日本の歴史から見ればほんの一瞬のできごと。倹約・節約・もったいない、は日本人の生活に染み込み、日本文化の特徴の一面でもある。だから、ムダが「悪」である事は、説明の必要もない。

「ムダ取り」はコストダウンのメインテーマ。日本製造業世界一の理由の一端は、コストダウンと日本人の倹約・節約の精神との協和性にある、と私は見ている。トヨタ生産方式は、ムダには7つのムダがある、と教える。一つ;不良手直しのムダ、二つ;つくりすぎのムダ、三つ;加工のムダ、四つ;運搬のムダ、五つ;在庫のムダ、六つ;動作のムダ、七つ;手待ちのムダ である。管理の良くない製造現場では、これらのムダの発見にさほどの苦労はいらない。しかし、「ムダ取り」が進んでくると、ムダを見つける「目」が必要になってくる。この眼力が製造マンの腕の一つであり、誇りでもある。

「ムダを見つけたら、すぐに取れ。」で30年やってきた。でも最近、疲れが出てきたのではありませんか。ムダを取れば取るほど利益が減る。そんなふうに感じませんか?

  • ムダには取るとムダになるムダがある。
  • ムダには取っても何にもならないムダがある。
  • ムダには取るべきムダがある。

ムダには取っても良いムダと取ってはいけないムダがある。ムダにはムダなムダとムダでないムダがある。それを見極めることが大事なのだ。だから、ムダはすぐ取るな なのです。

ムダ見極めるキーワードは「制約」なのです。制約の周りにムダなムダがあります。

⦁ ラインバランス100%を狙ってはいけない

生産技術の分野では、各工程の生産能力のバラツキ具合を表すのに、ライン編成効率なるものがある。例えば、月産10万個のラインの各工程の生産能力がすべて10万個であれば、ライン編成効率は100%ということになる。普通はこんなことはありえないので、70%とか80%とかである。ここで、残りの30%とか20%はライン編成ロスとか言ってムダと考え、工程管理者は何とかして100%にしようと努力する。15万個の能力がある工程では、5万個分の能力はムダなので、作業員の配置換えなどをして、10万個の能力に合わせてしまう。このような努力が延々と続く。私は、ライン編成効率が100%になったという話を聞いたためしがない。いや、私が知らないだけかもしれないので、ご存知の方はぜひ教えてもらいたい。ある御仁が言う。「ラインバランス100%は理想であり、目標だ。それを基準に、ムダを取り、工程改善に日々努力するのだ」と。「だから、実現する、しないが問題ではなくて、工程改善の進むべき方向を示しているのだ。」高い理想を掲げ、それに向かって全員が力を合わせて進む。大変に立派な経営思想であり、これに異論を唱えるのは、不心得者のそしりを免れない。しかし、待てよ。ラインバランス100%は、実現できない理由があるのではないか。目標そのものは、果たして正しいのか。生産システムの基本原理に立ち返り、見直してみる必要がありそうだ。製造ラインの能力は、各工程(機械、人、、、)とそこを流れる製品の従属性(加工順序など)、及びそれぞれが持つ変動によって決まる。機械は故障する。人は病気になる。納入される部品は不良品が混じる。生産システムはこれらの外乱要因に対して安定してなければならない。そして尚且つ、柔軟性があり効率が良くなければならない。そのような生産システムを構築するためには、ラインバランス100%を狙ってはいけない、のである。狙うは、工程を流れる製品フローをスムーズにすることであり、その流れの同期のレベルを上げることである。